「〇〇はいいですか?」

宇宙の叡智

ご機嫌ですか?

良くこんな質問を受けるのです。

「〇〇でいいですか?」

『いいか』って…誰にとってなのでしょうか?
社会?家族?仲間?自分?それとも〇〇?
そして、いつにとって『いい』のでしょうか?
今?過去?未来?

そして究極的には、「あなたにとっては、何が整うと”いい”になるのでしょうか?」そんなことを一つひとつ解かないと分からないわけです。

でも、この質問をする方はきっとどこかに『いい』という基準があると思っています。

元々諸行無常であり、固定された『いい』価値なんて無いのです。でもどこかで人は、それがある勘違いしてしまうようです。ただ、欲しい未来の青写真にとってどちらが良い選択なのかはあるかもしれません。

んー、でもそれも分からないということが正しいかもしれません。

人生は、選択の連続。

その選択以外の人生は味わえないわけです。

生命は誕生した時から、ずっと肉体を維持し続け、この世を体験させてくれています。鼓動を打ち続ける心臓を始め、呼吸、そして危険を避けてくれそんな崇高なシステムを持つ生命です。

この生命が生かしてくれるから、生きようとしなくても生きて体験ができています。

どんな生き方でも、どんな評価でも必要な体験(そのことが魂磨きですね)を終えるまではその生命の営みは続くのです。

その営みから思うと、この『いい』ということはどんな意味があるのでしょうか?

以前書いた「目標」を持つとそのことを執着すると気に病んだり、叶えてない自分を責めたり嫌ったり罪悪感を持ったり、妬んだりといった感情を持つことが生命へのストレスになってしまいます。

”生きているだけで丸儲け”

生きていれば、やるせない気持ちになる出来事、希望のままにならないことに苛立つこともあります。

その時こそ、生命の視点からみれば、このことこそ学びとして自分の信念を受け入れ、投合していくチャンスです!

今日も1日ご機嫌でありますように。

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